若者は涙を浮かべる
しかしその夜、王女は眠ることができなかった。彼女の兵が初めて本当の戦いに行くのかと思うと、悪いことばかり思い浮かび、一晩中まんじりともできなかった。
特別部隊が戻ってきたのは翌日の午前中なかばだった。包帯を巻いている者もちらほらおり、乗り手のいない馬も十数頭あったが、どの顔も勝利に輝いていた。
「なかなかの戦いだった」バラクは報告した。この大男は顔中でニヤニヤ笑っていた。「日没前にやつらをとらえた。連中は何が起こったかすらわからなかっただろう」
観戦という名目で従軍しているヴァラナ将軍は、居並ぶ王たちを前に、バラクのよりもさらに詳細な報告をした。「全般的な戦略は計画どおりに進みました。まず、アストゥリアの弓射兵が嵐のように矢を放ち、その間に、歩兵隊が丘の長い斜面の頂きをめざして進軍しました。次に、ドラスニアの槍兵、センダリア兵及びアレンディアの農奴部隊をそれぞれ均等に攻撃の前面に配置して、さらに背後からは弓射兵が矢を射かけて敵軍を悩ましたのです。われわれの思惑どおり、マーゴ人は攻撃をしかけてきました。やつらが反撃に出るとすぐに、チェレク人とリヴァ人が、後部から一気にくり出し、アルガーの諸氏族が側面から攻撃に加わりました。相手の攻撃が鈍ったところで、ミンブレイト騎士団が一気に攻めこんだのです」
「それは凄かったんです!」レルドリンは目を輝かしながら叫んだ。この若いアストゥリア人は上腕部に包帯を巻いていたが、大きな身振り手振りで話しているうちに、すっかり痛みを忘れてしまったようだった。「マーゴ人がすっかり混乱したところをついて、雷の轟きのような音がしたかと思うと、丘のふもとをぐるっとまわるようにしてミンブレイトの騎士たちが、槍を掲げ、槍旗をはためかせあらわれたのです。かれらはマーゴ人に鋼の波のように襲いかかり、馬たちのひづめの音で大地を震わせました。次の瞬間いっせいに騎士たちが槍を低く構えました。そして一気にマーゴ人を突きさしたまま、速度を落とすことなく駆け抜けていきました。まるでさえぎるものひとつないように駆け抜けていったのです! 連中がマーゴ軍を完壁に粉砕したところで、われわれ全軍でマーゴ軍にとどめをさしました。まさに偉大なる勝利です」
「あいつはマンドラレンと同じくらいどうしようもないやつだな」レルドリンのようすをみていたバラクがヘターに言った。
「たぶん、かれらの血のなせるわざでしょう」と、ヘターはすました口調で答えた。
「逃げた者はいるのかね」アンヘグがきいた。
バラクはいとこに残虐そうな笑みを投げかけた。「日が暮れてから、逃げ出そうと這いずりまわっている物音がしたな。レルグと部下のウルゴ人が、そいつらを片づけに出かけたよ。心配することはない。誰もタウル?ウルガスに知らせに戻ることはできはしまいよ」
「だが、やつは報告を待っとるのではなかったかな」アンヘグがニヤリとした。
「やつが辛抱人であればいいんだがね」バラクは答えた。「さぞかし長いこと待たされるだろうよ」
アリアナは、傷の手当てをしながら、沈痛なおももちでレルドリンの無分別な行動をしかりつけた。彼女の諌めは、単なる叱責よりも効果があった。彼女の口調はしだいに熱を帯び、その長々しくいんぎんな言葉に、ほどだった。軽いかすり傷でも、アリアナには、不如意の結果としか思えなかったのだ。セ?ネドラは若者の下手な言いわけをアリアナが個人的中傷のようにすりかえていく手ぎわを見つめ、将来のためにしっかりと頭にしまいこんでおくことにした。ガリオンはレルドリンよりも賢いかもしれないが、この戦術はかれのときにも使えると、セ?ネドラは思っていた。
一方、レルグとタイバは何の言葉も交わさなかった。かつてはラク?クトルの地下の奴隷の檻にいたこともあるこの美しいマラグ人女性は、奴隷よりもさらに悄然とした面持ちで部屋に入ってくると、狂信的なウルゴ人の傍らにかけ寄った。彼女は低い叫び声をもらし、われ知らずの相手にむかって両手をさし出していた。レルグは一瞬ひるんだが、おなじみの「さわらないでくれ」というせりふはなぜか口をついて出てこなかった。女の抱擁に狂信者の目は大きく見開かれていた。とたんにかれの戒律を思い出したタイバは、力なく腕を落とした。しかし、大きく目を見開いた青白い顔をみつめるスミレ色の瞳は、燃えるように輝いていた。ゆっくりと、まるで火に手をかざすように、レルグはタイバの手をとった。彼女の顔は一瞬当惑したような表情を浮かべ、すぐにゆっくりと赤らんできた。手に手をとって二人は歩き始めた。タイバは控え目にうつむきかげんに歩いていたが、ふくよかで官能的な唇の端には勝ち誇ったような笑みがかすかに浮かんでいた。
マーゴ軍との戦いに勝利したことで、大いに士気は高まった。要塞を出発した最初の数日、かれらを悩ましていた暑さと埃も、もはや軍団の士気をおとろえさせはしなかった。そして東に進むにつれ、国ごとに分かれていた隊の間に仲間意識が強まってきた。
マードゥ川の源流に到着したのは、それから四日後で、船を浮かべるのに適した流れまで運んでいくのに、もう一日かかった。ヘターとアルガーの諸氏族の巡視隊が、遠くまで偵察にでかけ、十リーグほど先の早瀬を越えてしまえば、あとは穏やかな流れになるむねを報告した。
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