申し分のない場所だよ


  あけっぱなしの物置小屋のドアから足を忍ばせて中へはいり、何者かがひそんでいる気配はないかと鼻と耳を働かせて、片方の前足をかすかに浮かせたまま戸口でたちどまった。農場は静まりかえっていた。聞こえるものといえば、中庭の向こうの納屋で乳を張らせた牝牛の不満げなうめきだけだ。もちろん人間の匂いはあったが、どれも何日も前の匂いだった。
 ガリオンは小屋からすべりでて、警戒しながらドアからドアへと移動し、あごで取っ手をひねって順番にドアをあけていった。そこは多くの点でびっくりするほど見慣れた雰囲気を漂わせていた。おかげでかれはとっくの昔に忘れたと思っていた胸をえぐるような郷愁に襲われるはめになった。貯蔵室はファルドー農場のそれとほとんど同じだった。鍛冶屋の仕事場はダーニクのそれとうりふたつで、友だちのハンマーが鉄床にぶつかる音がいまにも聞こえてきそうだった。目をつぶっていても、まちがわずに中庭を横切って台所へいけると確信したほどだった。
 ガリオンは順序正しく農場の一階の部屋をひとつずつ確かめたあと、爪先の爪で木の階段をひっかきつつ回廊に通じる階段をのぼった。
 どこもかしこも閑散としていた。
 中庭へ引き返し、ためしに納屋に鼻をつっこんでみた。牝牛が恐怖の鳴き声をたてたので、それ以上牝牛を苦悩させるのはよそうと、あとずさってドアの外へ出た。
「ポルおばさん」ガリオ甲狀腺手術ンは思念を送りだした。
「なあに、ディア?」
「ここにはだれもいない。」
「申し分がないだなんてほめすぎよ、ガリオン」
「自分で見てごらんよ」
 数分後、ベルガラスがかけ足で門をくぐりぬけ、鼻をうごめかして、あたりを見回し、本来の姿に戻った。「わが家にかえってきたみたいじゃないか?」かれはにっこりした。
「ぼくもそう思ったんだ」ガリオンは答えた。
 ベルディンが螺旋《らせん》を描いて空からおりてきた。「川まで約一リーグだな」変身しながら言った。「このまま行けば、暗くなるまでにつけるぜ」
「行くのはやめて、ここにとどまろう」ベルガラスが言った。「川の土手は巡回されているかもしれんし、必要のない暗がりをこそこそしても意味がない」
 ベルディンは肩をすくめた。「おまえしだいさ」
 そのとき幽霊のように青白いポルガラが物音ひとつたてずに塀の上空へ舞い降りてきて、中庭中央の手押し車のテールゲートにとまり、いつもの姿になった。
「まあ」彼女はつぶやくと、下におりて周囲をながめた。「あなたの言ったとおりだったわ、ガリオン。本当に申し分ないわ」マントを腕にかけて、彼女は中庭を横切り、台所のドアに近づいた。
 五分ばかりたって、ダーニクがみんなを連れて中庭へはいってきた。かれも周囲を見回したあと、いきなり笑いだした。「ファルドー自身があのドアから出てきそうだな。世界の裏と表にあるふたつの場所がこんなに似かよ高麗蔘っていることなんてあるのかね?」
「農場にとってはこれがもっとも実用的な作りなんだよ、ダーニク」ベルガラスが教えた。「それにおそかれはやかれ、世界中の実用的人間はここに到達する。あの牝牛をなんとかしてくれんか? 一晩じゅう鳴かれたんじゃ、みんな不眠症になってしまう」
「すぐに乳をしぼりましょう」鍛冶屋は鞍からおりて馬を納屋のほうへひいていった。
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