さまじい呪いの

きはいかさま神経にさわるものだったにせよ、他の水兵の士気をくじくにはいたらなかったため、断固たる処置をとることはせずにおいた。われわれの計画は、その場にとどまり、ニューヨークの諜報員からの情報にあった、定期船ダキア号の航行を阻止することであった。
 夕暮どきに浮上してみると、海が以前ほど荒れていないことが判明した。北の水平線に戦艦の煙が見えたものの、距離と潜水能力のおかげでわが艦は安全だった。さらなる悩みの種は、兵曹長ミュラーの口にするたわごとで、夜が迫るにつれますます狂乱したものになっていくばかりだった。ミュラーは唾棄すべきほど愚劣な状態におちいり、何やらん幻覚めいたものを目にして、いくつもの死体が漂っていくのが舷窓から見えただの、死体にまじまじと見つめられただの、ふくれあがっていながらも、わがドイツ軍の輝かしい戦果のうちに死んでいった者たちであることがわかっただの、あらぬたわごとを口走ったのである。さらにはわれわれが見つけて海中に投じた若者が、死者の先導者であったとまでいった。これは慄然《りつぜん》たる異常きわまりないものであるため、ミュラーに手錠をはめてこっぴどく鞭《むち》で打ちすえてやった。水兵たちはこの懲罰を気にいらなかったようだが、軍紀はどうあっても維持しなければならぬ。同様に、水兵ツィンマーを頭にする連中がもちだした、奇態な象牙細工を海に投げこむべしとの要求も、これを却下した 陽光女傭
 六月二十日、前日より具合の悪かった水兵ボームとシュミットが、狂暴な状態になりはてた。ドイツ人の生命は貴重なものであるため、わが艦に配属された将校に医師がふくまれておらぬことを悔んだが、この二名がやむことなくす言葉をわめきちらし、軍紀の乱れがはなはだしければ、断固たる処置をとらざるをえなかった。水兵たちはこれを不満げにうけいれたが、ミュラーをおとなしくさせる効果はあったようで、その後は問題をおこすこともなかった。夜が近づいた頃に解放してやると、むっつり黙りこんで任務についた。
 次の週は総員ことごとく神経を極度にはりつめて、ダキア号を待ちかまえた。ミュラーとツィンマーが失踪したことにより、艦内の緊張が悪化、この二名は恐怖にとりつかれたあげく自殺をはかったにちがいないが、海に身を投じる現場を目撃した者は誰もいない。黙りこくっているだけでも水兵たちに悪影響をおよぼしていたがため、吾輩はミュラーのいなくなったことをむしろ喜んだ。いまでは誰もがひそかな恐怖をいだいているかの陽光女傭ごとく、うち黙《もだ》しぎみであった。具合の悪い者が多数いたが、騒ぎをおこす者はいなかった。クレンツェ大尉は緊張に神経をいらだたせ、ごく些細《ささい》なことを気に病んだ――U29に群がるイルカがその数を増しているとか、海図にない南むきの流れの勢いが強まっているとかいったことである。
 やがてダキア号を完全に見失ったことが判明した。かような失敗はままあることで、これによりヴィルヘルムスハーフェンに帰港することが正当なものとなったため、落胆するというよりはうれしく思った。六月二十八日の正午、針路を北東にかえ、異様に群がるイルカを相手にいささか滑稽《こっけい》な悶着《もんちゃく》があったにせよ、ほどなく進みはじめることができた。
 午前二時に機関室で発生した爆発は驚き以外の何物でもなかった。機械の欠陥や担当者の怠慢があったわけでもないのに、いきなり艦が途轍《とてつ》もない衝撃とともに激しく横揺れしたのである。クレンツェ大尉が機関室に急行し、装置の大半と燃料タンクが粉微塵《こなみじん》になっているうえ、機関士のラアベとシュナイダーが即死しているのを知った。これにより状況は忽然《こつぜん》としてまさしく抜き差しならぬ陽光女傭
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